またライトニングケーブルが断線した

私の妻は最初のスマホからiPhoneを使い続けている。確か今3 or 4機種目だけど、今後もiPhoneからは離れられないらしい。

2代目からはライトニングケーブルになった。そして今日また断線した。それを見越して予備が買ってあるので大事にはなっていない。コストコで3本入りのがあって、2回は買っている。その前は100均や純正のも試したけど、耐久性と価格でコストコが良さそうということになっている。

 

しかし、なぜそんなに頻繁に断線するの?

 

ちなみに私が6年以上使い続けたAndroid端末の充電用ケーブルは1度も断線せずに本体が先に引退した。充電ケーブルはまだ生きていて他に使っている。

 

私の妻の使い方が荒いのか、ライトニングケーブルが弱いのか?

 

まあ、多分両方なんだろうと思うけど、iPhoneって高くつくよね。

 

 

ジョガーは車両ではありません

あなたがいくら速く走れても、ジョギングしているあなたは車両ではありません。

日本国内では向い側から走ってくるジョガー同士が互いを避ける場合、両者が右に避けるのがルールです。これによって衝突が回避されます。

 

歩道の無い公道では右端を通行するのが基本です。

歩道がある場合、道路のどちら側の歩道を通行してもルール違反ではありません。この場合、歩道の右端を通行するのが基本です。

(自転車通行可の歩道の場合はもう少し複雑ですが、この説明を必要とする人にはこれ以上複雑な説明をしない方が良いのでやめておきます。)

 

人通りの少ない道で厳密に右端を意識する必要は無いと思われますが、ジョギングなどしていて衝突する危険のあるような場合には特に気をつけるべきです。

 

なお、公共設備や駅構内などではそれぞれの指示に従うべきです。

歩行者の右側通行は「公道」を通行する場合のルールであり「公道」以外には適用されません。

 

この簡単なルールが理解できていない大人が多いようなので、微力ながら書いておこうと思います。

 

東京駅の3番線と快速電車のグリーン車両

 先日、東京へ出張した時の話。
 東京へはしょっちゅう出張したり、過去にはのべ7年ほど住んでいたこともある。このため、すっかり気が緩んでいたのだと思う。新小岩に宿をとった後、何の下調べもしなかった。今時は、迷ったらスマホで調べられる。

 仕事が終って、初めての新小岩スマホジョルダンで調べたところ、東京駅乗り換え、総武線快速に乗って数駅。
 これほどトラップがあるとは思わなかった。

複数あった3番線

 まず、ジョルダンでは3番線と書かれていたので、3番線ホームへ行くと、京浜東北線のホームである。「総武線」の掲示がないか、もう一度、山手線から順番に見てまわるが、それらしい名前は見当たらない。「総武線が相乗りしているのかな?」と仮定して、3番線で少し待ってみた。が総武線快速が来る様子なし。「誰かに尋ねた方が良いな」と思い、まわりを見回すが駅員はいない。ホームに入ろうとする人と出ようとする人でごった返している。どの人に訊こうか迷っている間に疲れてしまった。だいたい、立っているだけで邪魔にされる。
 やっと、ゴミ収集している職員さんを見つけた。きいてみると、総武線は地下とのこと。言われた通り、横須賀・総武線のガイドに従い下へ下へで到着。横須賀・総武線のホームには、1番線から4番線があった。

 東京駅には少なくとも2組の1番線~4番線があるのだ。番号だけでは乗り場を識別できないということだ。センスの悪いソフトウェアを想起させる。
 新幹線に1番線から振りなおしていないのは何故だろう?山の手線と新幹線を間違える人はいない。運行主体も違う。
 新幹線が大きな番号になっている理由として、1つの駅の線には同じ番号を振らないと聞いたことがある。この情報が邪魔をしたのだ。あのルールは間違いだったのだろうか。横須賀・総武線は別の駅という扱いなのだろうか。確認していないが、もしかして京葉線も1番線から始まるのだろうか。
 納得行かないが従うしかない。

快速電車のグリーン車

 地下におりると、既に快速電車が来ていた。丁度みんなが乗り込むところ。行き先が千葉方面の駅で、快速電車であることを確認して乗り込んだ。2階建て車両である。まだあまり混んでおらずラッキーと思い、下の階に降りて座る。社内アナウンスでも、快速電車であること、錦糸町に行けることから恐らく間違い無いことがわかる。
 しかし、何かおかしい。通勤時間帯の東京駅で、車両がガラガラなのた。そのまま電車は発車した。その後の駅でも、ほとんど人が乗って来ず、不安になってきた。何か裏があるはずだが、それがわからない。薄暗い地下が続き、ガラガラの電車。

 そして種あかしの時が来る。検札の女性職員が来て、正確な文言は忘れたが、おそらく「座席券を拝見します。」とでも言ったと思うが、「乗車券を拝見します。」と聞こえた。ICOCAですと言いかけて、Suicaじゃないと反感買う?とか関係ないことを考えながら。JRの快速で検札?特急券???しばし事態が飲み込めず。

 そして、席が予約できる列車であると考えれば、全てに説明がつくことに気づく。しかし、とっさに何と答えて良いかわからない。検札の女性は説明を始めた、「この車両はグリーン車で、券が無いのであれば、お買いあげ頂く必要がある。」と言う。この、総武線快速には、グリーン車両があるのだ。冷静に考えれば、料金を払って、そのまま乗っても良かったと思うが、値段を知らないというのは恐怖である。「いくらですか?」との質問は、今から買いますという意味も持つ。

 とりあえず「まちがえました」と言うと、別の車両に行くように言われた。車両を移るために移動しようとすると、隣の車両とはつながっていないことを教えられた。

 次の駅で車両を乗り換えて、混んだ車両に乗り移った時、気のせいか照明も明るく、懐かしい仲間に囲まれたような居心地の良さがあった。

 年をとって、思い込みが激しくなっているのだろうか。快速電車は追加料金がいらないと思い込み、グリーン車の標(しるし)が目に入らなかった。

やはり少し不愉快だ

 翌朝、新小岩から総武線快速に乗車。もちろん今度はグリーン車には乗らない。

 グリーン車の車両は一番便利な中央付近にあり、一般車両は端に追いやられている。見たところ新小岩からグリーン車を利用する人は数名。千葉など遠方から移動する人が使うのだろう。それなら、なぜ特急にしないのか?ダイヤが組めないのか?スシ詰めの一般車両の解消を考える代わりに、グリーン車を追加するという発想。快適に移動したければ金を積め、と言わんばかりである。以前、東京に住んでいた時も、拝金主義的なところが好きになれなかった。これも実例の1つだ。

 毎日この列車を利用している人は、どのように感じているのだろう。この列車を利用するうちに、意識することなく拝金主義に染まって行くのかもしれない。

 

プログラミングの工程を「製造」と呼ぶことに違和感を感じる

はじめに

 まず、最初に言い訳をしておく。
 基本的に、言葉というのは、多くの人の間で誤解無く通用するようになれば、その言葉は「通用した」その意味を持つことになる。決めの問題であり、言葉は生き物だ。そのことは分かっている。そのため、この用語が「あれよあれよ」という間に通用し始めた頃、がまんして従っていた。
もう、覆せないところまで来てしまった感があるが、「わるあがき」として、ひとこと云いたい。

 ソフトウェア開発の工程の呼び名として「製造」という用語を耳にすることがあるが、素直に受け入れられないでいる。後述のJIS規格で言うことろの「構築」に当たる工程を、ある程度「標準化」を意識したコンテキストで「製造」と呼ぶことについて、である。発注先の某ソフトハウスも「製造」という用語を、会話の中でも文書でも統一的に使っていたので、会社の作業標準として「製造」と規程している会社があるように思う。

JIS規格では

 2012年版のJIS X 0160:2012では、

7.1 ソフトウェア実装プロセス

 7.1.5 ソフトウェア構築プロセス
  7.1.5.1 目的
   ソフトウェア構築プロセスは、ソフトウェア設計を適切に反映した実行可能なソフトウェアユニットを作り出すことを目的とする。」

と規定されており、現在のJIS規格に従うならプログラミングなどの工程は「構築」と呼ぶことになる。

過去のJIS規格とその他の標準化活動について

 1980年代後半に私はこの業界に入った。その時点での工程の標準化は各企業に委ねられていた。私は独立系のソフトハウスに勤務していたことから、富士通関連のプロジェクトではSDEMを使い、他の会社の場合は、また少し違った用語を使ったりしていた。

 余談になるが、SDEMでは、"Archtecture Design"の日本語として「方式設計」をあてていた。現在のJIS規格でも使われている用語である。*1

 1995年、ISOではISO 12207(SLCP:Software Life Cycle Processes)がまとめられた。SLCPはJCFを参考にして検討されたと聞いたことがある。私は、JCFの中身を読んでいないが、近いものではないかと想像している。
 そして、1996年、SLCPの翻訳版がJIS X 0160としてJIS規格入りした。その後、JCF, SLCPともに何度か改訂されて、JIS規格もこれを反映して改版されている。

1996年のJIS規格が手元にある。現在のものとはかなり違う。現在のJIS規格における「ソフトウェア構築プロセス」に相当するのは、以下の記述である。

5.3.7 ソフトェアコード作成及びテスト

 当時、勤務先がISO9001の監査を受けようとしていたこともあり、節目管理をするために工程の標準化が必要であった。その際にSLCPを見て困った記憶がある。工程の名称として長すぎるのだ。例えれば、料理の名前として調理方法が書かれているようなもので、コミュニケーションの際に用語として用いるには適さない。当時は、この項番号の「3.5.7」を用いるべきか、との議論もあったが実用的ではない。なお、その前後は十分使える用語が割り当てられている。

  • 5.3.4 ソフトウェア要求分析
  • 5.3.5 ソフトウェア方式設計
  • 5.3.6 ソフトウェア詳細設計
  • 5.3.7 ソフトェアコード作成及びテスト
  • 5.3.8 ソフトウェア結合

 結局のところ、単体テストを分けたかったことも1つの理由ではあるが、SDEMに倣って「PG工程」と呼んでいた記憶がある。
 みんなが困った結果、今のような用語の混乱が生まれたのではないかと思う。ちなみに、その後私はもっぱら「実装」と呼んできた。

ソフトウェアを「製造」することの違和感

 あとは、本当に個人的な受けとめ方の話になってしまう。

音楽に例えると

 音楽もソフトウェアである。音楽とソフトウェアを対比する場合、「作曲」と「設計」が対応するであろう。そして「楽器」が「計算機」であり、「演奏」がソフトウェアの「実行」である。
 作曲した曲を譜面に落とす作業がソフトウェアの「製造」に相当すると言われると違和感を感じないだろうか。

「造」とは

 「造」を使った言葉を並べてみる。造成、造型、お造り……。要するに3次元空間における「かたち」に問題意識を置いた言葉である。
 「製造」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、第二次産業の「製造業」である。*2

 例えば、開発したソフトウェアをCDに焼いてマスターCDを造る作業を「製造」と呼ぶなら何とか許せる。どうしても「製造」という言葉を使いたいなら、この工程を指して使ってほしかったくらいである。*3

 端的に言えば、日本語としてズレを感じる。

ソフトウェア開発は、設計の詳細化である

 プログラムは、十分詳細化され正確に記載された設計書である。計算機(やコンパイラ)が読める形式の文書である、と言い換えても良い。
 設計とは準備作業であり、最終目的ではない。読まれることを想定しない文書があるなら、それは自己目的化した−存在することが目的で、内容は問わない−ものに映る。
 納品のために、読まれることを想定しない仕様書を印刷をすることが多々ある。その延長だ。
 わかってもらうために、少々極端に表現すると、
 プログラミングの作業を「製造」と呼ぶ人の頭の中では、「実行可能なソフトウェアユニット」を「設計」することそのものが最終目的になり、実行することは自らの興味の対象では無いかのように映る。演奏されることに興味の無い作曲家のような印象を受ける。

 あくまで極端に表現している。気を悪くされたようであれば、最後に謝っておく。

まとめに代えて

 あまり権威主義的なのは良くないが、折角JIS規格があるのだから、できるだけJIS規格の用語を使うのが良いと思う。しかし、明日から「構築」と呼んでも通じないだろう。難しいところだ。

*1:他に良い訳を思いつかないので、私はこの呼び名で良いと思うが、「方式設計」の意味が通じないあるいは使いたがらないソフト開発者が少なからずいた。もしかしたら彼ら・彼女らはこの用語にこそ違和感を持っているのかも知れない。

*2:私が働いていた製造業の某企業では「製造」という工程はなかった。設計→試作→量産といった具合だ。(本当はもっと細かい。) その意味で、用語の重複はあまり心配する必要は無い。

*3:実際には勤務先の製造業でマスターCDをつくる作業は「ソフトの出図」と呼ぶ人もあれば、単に「マスター作成」と呼ぶ人も居て決まっていなかった。

ボーイスカウトについて誤解していたこと

 私の2人の子供達は、ガールスカウトボーイスカウトに入り活動しています。

かなり未熟な親ですが、少しできすぎ?と思うくらい子供達が健全に育っていて、少なからずスカウトに入れて良かったと思っています。

 私の妻の提案で子供達をスカウトに入れた私(父)は、数カ月前まではスカウト運動が何なのかわかっていませんでした。ボーイスカウトの指導者講習会を受ける機会があり、誤解に気づかされたことが沢山ありました。私が誤解していたり知らなかったことを中心に、書きたいと思います。

特定の宗教的な信仰を広めるための活動ではない

 私の子供達が所属する団ではキリスト教会のミサに参加する活動もあるので、漠然とですがスカウト運動がキリスト教信仰と切り離せないものであると誤解していました。YMCAのような位置付けかと勝手に思っていました。

 実際には、お寺や神社を母体として活動する団もあり、仏教神道の祭事に参加している団もあります。

 ただし、スカウト運動では、なんらかの「信仰上の原則の堅持」が活動の1つとされていています。自治体や子供会を母体とする「特定の宗教と関係を持たない団」は、お寺などに頼んで祭事に参加させて貰ったりしているそうです。 

ボーイスカウト日本連盟は公益財団法人(文部科学省所管)であり年会費による登録制

 各々のボーイスカウトの団はこの連盟の下部組織ということになります。指導者も子供達もボーイスカウトに所属している者は全員、ボーイスカウト日本連盟への登録費を毎年支払っています。

 指導にあたっているリーダーはみんな登録費を支払って参加しているのです。もちろん、交通費やキャンプに行く時の費用などもかかりますから、金銭的な負担をした上で子供達を指導してくれているということです。子供をあずけている親としては頭が下がります。 

 なお、技能を競う大会で勝ち進むと最終的には総理大臣に表彰してもらえるそうです。

ボーイスカウト運動は教育的運動である

 規律も重視することから、武器を持たない軍隊のような印象を持つこともあるかと思いますが、目的は青少年教育です。

 世界スカウト機構憲章で、「(前略)青少年のための自発的で非政治的な教育的運動である。」と定義されています。続いて、「スカウト運動の目的は、青少年が個人として、責任ある市民として、地域、国、国際社会の一員として自らの肉体的、知的、情緒的、社会的、精神的可能性を十分に達成できるように青少年の発達に貢献することである。」と書かれています。 

教育の方針がある

「青少年のための自発的で非政治的な教育的運動」って本当にそんな教育ができるのかって疑問がわきます。この目的を達成するために、スカウト教育法では7つの要素を示しています。

  • 「ちかい」と「おきて」
  • 行うことによって学ぶ
  • チームシステム
  • 個人の進歩
  • 自然
  • 成人の支援
  • 象徴的枠組み

 個人的には、特に効果があると思うのは「チームシステム」です。スカウトでは1つの「隊(年の近い集団です)」に複数の「組」を作り互いを競わせます。競うことで向上心が生まれ、「組」の中で協力することを学びます。今の学校教育で不足している部分を補っているように思います。

 ごまかしのきかない「自然」を相手に「行うことによって学び」、そこで困難な課題を克服した「うその無い」事実は「個人の進歩」として自信につながります。「自然」を相手にすることは同時に危険を伴うため「成人の支援」が特に必要になります。「自信」すなわち自分に価値があると思えることは子供にとって大切なことだと思います。この経験を積むためにキャンプに出掛けるのですね。そして危険に対処するため、リーダー(成人)の参加・補助が必要です。

  野外活動しているだけのイメージがあったのですが、目的と方法論に即して野外活動をしていることがわかり、納得した次第です。

最後に

 複数の組を作るには同年代の子供達が集まらないと成り立ちません。多くの子供達が参加できると良いと思っています。

 指導者研修にはスカウトのリーダー以外にも幼稚園から参加されている保育士の方々も居られました。必ずしも団に所属している必要も無さそうなので、興味のある方は参加してみてはいかがでしょうか。